広島県広島市に本社を置き、中国5県のみならず全国へ長距離輸送。BtoBの物流に特化し、依頼主のニーズに応じた最適な輸送方法で一貫した物流サービスを提供されている、広島急送株式会社様。今回、様々な経済危機の難局を乗り越えられてきたその手腕と行動力、そしてUDトラックスとの深い関わりについて、当社の田中が社長の實光様にお伺いしました。
多種多様な車両を保有し物流の効率化と合理化を実現
(田中)まず最初に、御社の事業内容について、特にUDの大型車両を使った業務内容についても詳しくお聞かせください。
(實光)車両台数としては、トラクターヘッドとトレーラーを合わせて42台、その他に大型トラックが92台、高圧ガスローリーの特殊車両が20台ほどあります。そのうち、UDトラックスの大型車両は半分以上を占めていますね。メインの輸送品目としては、石油化学製品やプラスチックの原材料になる樹脂製品。あとは紙製品や地場の自動車部品など。基本的には、BtoBの物流に関しての品目を主に扱っています。輸送エリアは、遠くは関東まで走っています。グループ会社で共同輸送を行い、協力体制でネットワークを敷いているのが当社の強みです。
(田中)直近ですと、大型低床ウイングのQuon(クオン)CGを2024年の12月に納めさせていただきました。年間の車両代替計画を社長の方ですでに立てられていますので、そちらをお聞きし、きちんとお応えできるよう尽力しております。
リーマン・ショックでの逆境から事業再興の逆転劇へ
(田中)社長就任後は、大変なご苦労や不安な日々を過ごされたと伺っております。その後の業績回復の要因や、会社の存続をかけた施策やアイデアがあるとお聞きしましたが、どういった挑戦だったのでしょうか。
(實光)2代目として社長に就任したのが2008年の3月でした。そのわずか半年後に、史上最大級の世界的な金融・経済危機であるリーマン・ショックに、日本も見舞われました。取引先企業に及んだ影響は絶大で、当社も12月に入ってトラック20台分の仕事量が一気に無くなってしまいました。
(田中)初期段階としては、どういった対策を講じられたのでしょうか。
(實光)ここ広島は自動車関連産業の地域でもあり、かなりの大打撃を受けました。通常の仕事量が維持できないという状況下になったので、「雇用調整助成金」で半年間を一時的にしのぎました。ただ従業員の士気やモチベーションはかなり下がっていましたので、彼らの元気を取り戻すためにも次の一手を模索し始めましたね。
(田中)具体的には、どんな施策でリーマン・ショックを乗り越えられたのでしょうか。
(實光)周辺の同業他社では、雇用を確保するために仕事を分け合うワークシェアリングで乗り切る動きが目立ちました。しかし当社は、乗務パターンの見直しや配置換えで、ドライバーの収入減を避ける方法を探りました。減車やリストラをせずに、全車両を通常稼働するという形をとりましたね。多くの従業員が配置転換に応じてくれて、本当に感謝しています。半年に満たないうちに助成金の取得を止め、ワークシェアリングをせず全員で努力して仕事を確保することで改善していきました。売り上げ的には落ち込みがありましたが、利益の部分では比較的回収できたという自負があり、会社としては健全経営ができるのだと、この時に確信しましたね。その後も、2011 年の東日本大震災や、2018年の西日本豪雨での大災害時も輸送量が著しく減りましたが、危機が起きる度に成長していき、お客様がお客様を呼び込む体質の会社になりました。窮地や修羅場に追い込まれる程に、不屈のメンタルが培われ、機動力・提案力・実行力がさらに強くなるのだろうと思っています。